民具と農具
民具(生活に必要な道具)や農具(畑や田んぼの仕事などをするときに使う道具)を、春夏秋冬に分けて展示しています。
春は、田植えの季節です。「田植え枠」「抜根機」「除草機」などの他、さまざまな「鍬(くわ)」などがあります。
夏は、蚕(かいこ)を育て、繭(まゆ)をとる季節です。蚕とは「カイコガ」の幼虫のことです。蚕が繭をつくって、さなぎになります。この繭を煮て、生糸(きいと)を作ります。それを織って布にして、着物をつくります。
布を織るための「いざりばた」や、ワタから糸をつむぎだしたりする「糸車」、 蚕を入れて繭を作らせる「まぶし」などを展示しています。
秋は収穫の季節です。稲刈りと稲始末(いねしまつ)を行います。稲刈りは、鉄のカマを使って、根元から刈っていきます。刈りとった稲は、束で結んで、干していきます。これを「はざかけ」といいます。今は、機械でかわかすので、あまりしません。昔は、家族全員で稲刈りをしたので、子どもたちは、稲をはこんだり、はざかけするために手渡したりするのが仕事でした。
干しおわると、お米の粒をクキからとっていきます。これを「脱穀(だっこく)」と言います。まずは「稲扱き(いねこき)」です。
「千歯扱き(せんばこき)」は、江戸時代から使われました。稲を刃にかけ、引きながらお米の粒を落としていきます。とても能率があがったそうです。「千歯」は、歯が千枚あることではなくて、「千把(せんば)」と書くことがあります。千把もの稲を一度にこくことができることに由来しているそうですが、やはり、実際に千もあるわけではないようです。それほども、能率が上がったということなのでしょう。
次に、落としたお米の粒をウスに入れてひいて、お米の本体と、そのまわりの殻の「モミ」を別々にします。そして「唐箕(とうみ)」を使って、それらを分けていました。ハンドルを回した風によって、重いもの、軽いもの(つまり欠けたもの)、ゴミというように別れました。
お米の本体は、「玄米」(モミをとっていなくて茶色のままのお米)で、俵につめて、稲作業はようやく終わりでした。1月下旬ころまでかかったそうです。
秋はイネを刈ったり、干したり、脱穀したりと、とてもいそがしく作業をします。いまのように機械がなかったので、ぜんぶが手作業でした。そのぶん、時間がかかりました。雪がふる前に作業をおわらせたいと、天気の心配をしながら行っていたそうです。俵に入れたお米は、背負ったりして持ち運びしました。1俵(いっぴょう)、約60キロもあります。俵を編む道具は、冬のコーナーにあります。使うのは秋でも、つくるのは農作業ができない冬の間なんですね。
冬のコーナーには、雪が多い季節に、どのように工夫して暮らしていたか分かるような道具が展示されています。
下の写真は、大雪の中を歩くための「かんじき」の大型版です。 「すかり」といいます。大きい分、持ち上げる雪の量も多くなるので重くなります。それで、先の方にヒモがついていて、ヒモをひきながら足を上げて歩きました。
イラストのふたりは、このように話しています。「コリャ イライ コッチャナア コレジャア ユウガタ マタ デナクッチャアー ナンナイカナー」「ホンニサ ヨクモ オトヲ タテズニ ホッカイニ フッタモンダ」。→「これは大変なことだなあ。これじゃあ、夕方にまた(雪道づくりに)出なくてはならないかなあ。」「本当にそうだな、よく音もさせないで、こんなに降ったもんだ。」
上の写真は、「すげぼうし」と、それをかぶった子どもたちの写真です。頭から身体まで、すっぽりおおってかぶるもので「つっかぶり」とも言います。昔、使っていたというおじいさんに「いまで言うところのコートでしょうか?」と聞くと、「いや、着るものというより、かぶりものなんだ。あったかくするというより、吹雪の日とか、雪が身体につかないように」ということでした。