昔の暮らしを知ってみよう

歴史民俗資料館で展示している「ワラ細工」などを中心にご紹介します。

牛用と馬用の、わらじ

前回の掲載後、ワラ細工職人の小林守雄さん(85)から電話がありました。

「牛用のわらじ、と書いてあったのは間違いだね。あれは馬用だ。」

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【 ↑ 左が「牛用」ではなく、「馬用」のわらじ】

あら~、不勉強で大変失礼いたしました。前回をご覧くださった皆様に、お詫び申し上げます。

牛と馬。どう違うのでしょう。そこで、南魚沼市鈴木牧之記念館に、牛用のわらじが展示されていると聞きつけ、写真を撮影して来ました(撮影には許可が必要です)。

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見てすぐ、形が違うことが分かりました。しかし、どうして違うのでしょう。小林さんに質問しました。

「だって、ツメの形が違うもの。見たことない?」

そう言われると、牛や馬を見たことなんて、ありましたっけ。私は昭和40年代生まれです。子どもの頃、近所に牛を飼っていた家があったような記憶がうっすら、ありますが。

そこで、湯沢町で牛や馬を飼っている家がないか調べましたが、分かりませんでした。それなら、過去にはと調べ、資料室で牛舎の写真を見つけました。

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昭和50年頃の土樽(滝ノ又)の写真です。早速、牛舎があった場所を訪れてみたのですが、分かったのは、昔、あった場所だけでした。

当館では、牛馬に引かせて水田をかき均す「馬鍬(まぐわ/まんが)」を展示していて、作業の写真もあります。

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滝ノ又の畑で、82才の女性が仕事をしていたので、声をかけました。写真を見せて「この辺りでも、この写真のように馬や牛を飼って農作業していましたか」と質問しました。女性は、南魚沼市中之島に生まれ、実家では中学卒業頃まで馬を飼っていたそうです。写真を見て「はなっとり、したね」と言いました。「鼻取り」、牛馬の鼻綱をとって誘導することです。

「山袴(さんぱく)をはいて、縄でヒザの下を結んで、裸足で田んぼに入って作業した。大変だったこって。」

昭和30年頃から耕運機を使うようになり、牛も馬もいなくなったんだそうです。

さて、牛と馬のツメの違いを調べていたのを忘れていました。実物を確認するのは残念ながら諦めて、インターネット検索。牛のツめは真ん中から割れていますが、馬のツメは割れていません。わらじの形は、ちゃんとそれぞれの足に合うように作られたんですね。

小林さんの家には牛がいて、荷物を乗せて牛車を引かせるとき、小石を踏むと痛がったので、わらじを履かせました。

昔は、牛や馬が家にいて、家族の一員のように働き、働かせた後はきちんと休ませて大切にしていたそうです。昭和30年頃というと、50~60年前くらいですが、本当に今とは違った暮らしをしていたんだなあと思いました。